たべるの

夏の光。

2016年5月31日
高橋 忠和高橋 忠和

春の葉もの野菜のうち、収穫されずに残ったものが最盛期を過ぎてスルスルと茎を伸ばし、黨が立つと言いますが、その先に花をつけます。
菜の花です。可憐な黄色い花が5月の風に揺れています。
ミツバチが飛び回り、モンシロチョウがやって来ました。
畑の野菜は収穫しておしまいというわけではないのですね。植物としての命をまっとうしようとするのです。

私たちは「撤収」などと言っていますが、実際は、自分たちで種を蒔き、苗を植えた作物の、収穫が終わった後は根こそぎ引き抜き、その命を終わらせてしまいます。およそ3ヶ月、長いもので6ヶ月の命。

6月末に収穫するジャガイモは、収穫期を迎えるずっと前の5月の上旬に花をつけて、6月半ばには地上部分の葉も茎も黄色く枯れ果ててしまいます。たった今、5月の半ばに収穫を終えようとしているスナップエンドウや絹さや、ソラマメなども、すでに葉は黄色くなってきました。だから「撤収」するのにも抵抗はないのです。
しかし、コマツナやホウレン草、水菜、春菊など、葉もの野菜は収穫期のあとに花をつけるので、その花をつけたまま「撤収」するのはやはり可哀想。哀れです。

春の葉もの野菜を引き抜いた畑はおよそ3ヶ月ほど放置して、それから堆肥を撒き、石灰を撒いて、耕耘機をかけ、また次の作物の準備をします。
そんな風にやってきました。

採り残した春カブは黄色い花をつけます。ダイコンは白い花をつけます。いずれも可憐な花です。
最後に花を咲かせて終わっていくのだなぁ。いや、わたしが終わらせるのだなぁ。
6年、7年と、そう思ってきました。

しかし、この5月のとても天気の良い青空と心地よい風の中で、引き抜かれ、畑の隅に積み上げられる黄色い花を見ていたら、ああ、これは去年も見た景色。その前の年も、その前も、何度も何度も見た景色じゃないか。
今年は去年より2週間早いね、その前の年より1週間早いね。
でも同じ黄色い花が咲いて、引き抜いて、畑の隅に積み重ね、明るい5月の光の中で揺れていた。

フッと思い浮かんだのです。
ひょっとしたら何も終わってはいないのじゃないか。何も始まってさえいなかったのではないか。この畑では何も生まれていない、死んでいない。
ただ、変わっていくだけだ。ちょうど季節が移っていくように。
春、夏、秋、冬。何も終わってはいない、始まってもいなかった。
変化しているだけなのじゃないのかな。

いつか私自身も何者かに引き抜かれて消えていくことになるけれど、死ぬわけじゃない、何かが生まれたわけでもなかった。
変わっていくだけなのかもしれないなぁ。

小さな黄色い花が風に揺れています。
5月の光の中で、自分でも苦笑いするような妄想がふくらみました。

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