たべるの

正月の畑。

2015年1月20日
高橋 忠和高橋 忠和

畑では、いつも何かの種を蒔き、苗を植え、育て、収穫しています。
収穫が終わればその土を耕し、また種を蒔き、苗を植え、育て、収穫します。
それは、畑では常に新しい命が生まれて、収穫されるということです。
そして、その命の1つ1つに物語があります。

外から眺めていても分からないかもしれないけれど、
野菜畑に一歩足を踏み入れると、「俺が」「私が」と
たくさんの物語が一斉に語りかけてくるのに気がつくはずです。

「陽射しが強すぎる」「水が足りない」「でも」「ほ〜ら。こんなにたくさん実を付けた」

だから、畑にはいつもたくさんの物語が溢れている。賑やかなものなのです。

それが、
正月の畑では誰も話しをしていません。

最高気温が10℃に達しない冬の間、野菜を露地で栽培するのはほとんど不可能です。
何回か挑戦したけれど、発芽さえしない。若い苗はすぐに枯れる。
だから真冬の寒い時期には、新しく種を蒔くことも、苗を植えることもやめました。
2月はさらに気温が下がるのですが、3月初旬の春野菜やジャガイモの植え付けに備えて
土作りが始まります。冷たく固まった畑の土が、耕耘機や鍬で掘り起こされると、
それまでキッと口をつぐんでいた畑が、少しづつ喋り始めるのです。
土の匂い、命の香りが、広がります。

正月の畑は、土を耕すこともない。
だから静かなのです。

たくさんの物語が口々に語りだす賑やかさは、楽しい。幸福な気分にすらなる。
しかし、静かなのも、また良いと思います。

わーわー、キャーキャー騒いでいたら、親とか先生に「静かに!」と叱られた。
そのシーンとした時が、なかなか良いなぁと思うのです。

賑やかなのは、それぞれが自分を表現しようとしている状態だとすれば、
静かなのは、何かを見つめる瞬間、なにかを聴き取ろうとする瞬間。
自分より大きなものと繋がる時なのではないか。

正月の静かな畑に腰を下ろして、
私達もまた、空や風や、なにか大きなものに。
見てみよう、聴いてみよう。
そう思うのです。

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