たべるの

田圃をつくるということは。

2010年6月2日
高橋 忠和高橋 忠和

畑と田圃。何が違うかと言うと、やはり水。水の重要度が全然違います。
田圃をつくるということは、田圃に水を引き込む用水を確保することですし、排水路を持つということです。
だからたとえ規模の小さい田圃でも、視線はあたりの山へ向かい、川を探る。
田圃をつくるということは、田圃のある自然環境を、山や森や川を、みんな作り上げるということになります。途方もない話だ。
どうやって?WEB上、お米の作り方を紹介しているサイトはたくさんあるけれど、田圃の作り方は分からない。
久々に八重洲ブックセンターまで出かけて、参考になりそうな本を数冊買ってきましたよ。

30年以上放置されていた土地は、葦とススキの原っぱになっていました。
しかも今年のはじめ、新しく開いた栗林の畑へ続く道を整備したときの、あたりを伐採した木々の枝が路肩に重なって、道路から原っぱに入っていけない。まずはこれを切り開いて入口を作るところからスタートです。

ようやく入口が開けて、石井さんが草刈り機で葦やススキを切り倒したとき、「ありゃ、ここは水の確保が大変だなぁ」碓井さんと田中さんが言うのです。「こっち。こっちの方が良いんじゃないか」2人はわたしと石井さんと沢樹がたった今開いた場所から20〜30m離れた別の場所が良いと言う。「確かに」「とほほ」

一週間後、今度は碓井さんと田中さんとわたしの3人で、その、もうひとつ別の場所の草を刈ります。刈り取ったあとの地面はジュクジュクしている。山からの水がしみ出しているのです。そのジュクジュクの土に葦とススキとスギナの地下茎がビッシリ絡み付いています。「やっぱり30年放置しているとこうなるね」「これ、大変だけど全部取り除いていかないとね」


翌週は雨のために手が出せなかった。5月も末になると全国から田植えのニュースが聞こえてきます。葉山あたりも6月あたまには田植えだとか。わたしたちはまだ田圃すら持っていない。


5月30日。曇天ではあるが雨は降らない日曜日。畑へ行こうよのメンバーが集まってくれました。今日はやる。絶対に田圃を造るぞ。
まずは排水路を造ることから始めます。田圃ができるあたりから南の川に向かって溝を掘ります。この作業、人力でやるのです。もし一人でやれと言われたら、メゲます。仲間がいるというのは良いなぁ。午前中に排水路ができてしまった。さらには山からしみ出す水を集めて田へ注ぐ用水路も完成。ありがたいなぁ。

「うお!カニだ。カニがいる」「こっちはカエル。カエルです」溜まった水の上には早くもアメンボがいる。
葉山の自然が我々に、30年ぶりに田を起こすわたしたち人間に「お帰り。おひさしぶり」と挨拶を言いに来てくれたみたいです。サワガニやアマガエルをこんなに間近に見たのは何年ぶりだろう。


午後からは泥との格闘です。土を掘り起こすと水が出てくる。泥になる。
ほんとうは、2月とか3月の、まだ田圃が乾いた状態の土を掘り起こすことを「田起こし」、「荒起こし」と言い、肥料を撒いて畦の補修「畦塗り」。4月から5月にかけて田圃に水を張って「代掻き(しろかき)」をします。田圃の土を砕いてならし、水平にする作業です。これも「荒代(あらしろ)」、「本代掻き(ほんしろ)」と2回やる。
わたしたちの田圃は、はじめから泥です。荒起こしと畦塗り、代掻きをいっぺんにやっているようなものです。
4m X 6mの田圃を造ります。24㎡ですから約7坪。畳にすると14畳ぐらいかな。鍬やシャベルで30〜40cmの深さで土を掘り起こす。葦やススキの地下茎を刻んで砕く。掘り起こした先から水が出てきて泥になります。他所から乾いた土を持ってきて畦としました。いっそさらに水を流し込めば絡み合った地下茎が取り出しやすくなる。泥に手を突っ込んで田圃の掃除をします。顔に泥、髪に泥が跳ねます。脚はもちろんお腹も胸も泥だらけ。ちょっと油断すると足をとられて泥に尻餅。もう笑うしかない。


それでもどうです。見てください。わたしたちの田圃ができましたよ。立派なもんでしょう。
これでなんとか6月あたまに田植えができます。
ツバメは飛んで来るのかな。やがてトンボが姿を見せてくれるかな。蛍はどうだろう。お米は無事にできるかな。


田圃をつくるということは、それはそれは楽しいことです(笑)

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