たべるの

Mon chou わたしのキャベツちゃん。

2015年10月6日
高橋 忠和高橋 忠和

わたし達が畑を始めたとき、農業のいろはを教えてくれた葉山の石井さんは三浦半島を代表するキャベツ農家でした。
毎年今頃になると3haの広大な畑が一面ずらりとキャベツ畑になるのですが、これが思わず「おーっ」と声が出るほどの壮観。黒褐色の土にキャベツの鮮やかな緑が点々と並ぶ畑が連なって、その果ては湘南の海、空でした。

キャベツの原産地はヨーロッパの地中海沿岸から大西洋沿岸といわれています。歴史は古く、かの地で最も初期の頃から栽培された野菜のひとつです。ところがヨーロッパのキャベツ、凄く固いキャベツなのです。我々が口にしているキャベツと見かけこそ同じだけれど、1枚1枚の葉も固いし、その葉がビッシリ重なってまるで岩。千切りにして生で食べるなんてとてもできません。フランスやドイツのキャベツはじっくり煮込んで、しっかり蒸し焼きにして、あるいは発酵させて食べるものなのですね。 なんでそんな厄介なものをヨーロッパの人達は食べ続けたのか?それはキャベツが固く締まっているからこそ、比較的保存ができる野菜だったからです。時間をかけて調理すればキャベツは柔らかくなります。噛めば甘い。そういうキャベツの家庭料理がいっぱいできて、母から子へ伝えられ、ヨーロッパのお母さんの味になった。キャベツに対する愛着もひとしおということになります。
フランスの人はキャベツのことをchou(シュー)と言うのだそうですが、愛情表現としてmon chouと男女が呼び合ったり、子供に言ったりするそうです。(ちなみにお菓子のシュークリームのシューもキャベツのことです)

日本には最初はハボタンという名で江戸時代に入ってきました。しかしこれは食用ではなく観賞用。今日我々が食べているキャベツは第二次世界大戦後に普及しました。イタリアで改良され、アメリカを経由してやって来たキャベツは柔らかだった。

広大な畑に数えきれないほど並ぶキャベツを見れば、これはきっと大規模に機械化された農業なのだろうと思うかもしれませんが、じつは、キャベツ栽培はおどろくほど手仕事が多いのです。とりわけ日本のキャベツはそうです。苗の植え付けこそ専用の植え付け機でやりますが、それ以外の、肥料をやったり、寒すぎる時は寒冷紗などで保温してやったり、みんな手でやる仕事です。収穫はひとつひとつ、目で確認しながら規定の大きさに成長したものから収穫していきます。畑の端から端までダーッとというわけじゃないのです。
株元に包丁を入れてキャベツを引き上げると芯の切り口から水がジャーッと流れ落ちてビックリ。その重量の97%が水。畑の水といわれるキャベツの命のほとばしる瞬間。
私たちの国にはフランス人とはまた別のキャベツへの愛情があります。

今、葉山を離れ横浜の畑で、私たちは自分の手でキャベツを育てています。昨年はビギナーズラックという奴でしょうか、思いのほか良いキャベツができました。
Mon chou 今年はどうかな。

ちなみにキャベツは外側ではなく内側から育つので、内側に行くほど密な形になります。密ということは重みが増すということで、この「重み」がキャベツを買う時の指標になります。また芯を中心に持ったとき、冷たいキャベツほど美味と言われているのですよ。

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