たべるの

仙台曲がりねぎ その2

2015年2月13日
高橋 忠和高橋 忠和

藤七は若者を追って山に分け入ろうとしますが、「お父っつぁん。やめて」「彦次郎さん、逃げて」娘のさちの叫ぶ声に足が止まります。振り返って、水車小屋まで戻ってきて、娘を睨みつけます。さちも父親を睨みつけています。互いに何か叫ぼうと口を大きく開けますが声が出ません。涙が出る。藤七は草刈り鎌をとって駆け出していきました。

日が沈み、冷たい色の月が山道を照らしています。息を荒めて村はずれまで辿り着きましたが、すでにそこには誰もいなかった。大きな木の間にポツンと貧しい家が一軒。ほんの僅かな畑も哀れです。二年前に婆さまが死んでからは彦次郎が一人で住んでいたようですが、殺されると思って、家を棄て、逃げ出したのでした。

翌日の朝です。藤七が畑仕事に出るのを確かめて、家に忍び込む人影。逃げ出した彦次郎が戻って来ました。昨夜は山に潜んでいたのでしょうか。
「さち、さち。」探しますが返事がない。
裏に回ると馬小屋の方からシクシク泣き声がします。
「さち!」
中に飛び込んで驚いた。馬小屋の中には、竹で格子が組まれて、まるで鳥籠のような牢屋が出来上がっていました。さちはそこに閉じ込められていたのです。
「なんてひどいことを!藤七さんがやったのかい」
「自分の娘をこんな目に遭わせるなんて、恐ろしい」
格子の隙間から必死に伸ばすさちの手を握り、涙を流す彦次郎でした。
「彦次郎さん。今は逃げて。お父っつぁんに殺される」
言わないこっちゃない。庭の方から物音がします。藤七が戻ってきた。
「さち。おいらきっと戻ってくる。少しはマシな人間になって、必ずお前を迎えに帰ってくる」
絡む指を解いて、彦次郎は出て行きました。

その日から、さちはずっと鶏籠の中です。食事を運んでくる父親とは口をききません。
一年が経ち、さちを目当てに集まって来ていた男達は、いなくなりました。
二年が過ぎ、藤七は食事の世話は続けているようですが、娘に語りかけることはなくなりました。
三年経って、この家に若い娘がいることすら、忘れ去られていきます。

田圃はまあまあの年もあったけど、全くダメな年もありました。畑からとれる豆や芋も僅かです。
四年経ちました。
家の外に姿を現さないさちが、その後どうなっているのかは全く分かりません。しだいに老いていく藤七はずいぶんやつれました。
五年目の秋も深まって、朝、霜が立つようなると、もう冬です。

畑から里芋を掘り出している藤七は、相変わらずの巨体ではありますが、すっかり痩せています。頬はげっそり、歩くのさえやっとな感じです。
芋の量は大したことがないのに、湿った土がついていて、それが重い。
ようやく家の前まで運んできましたが、肩で息をしています。そこで立ち止まって動けなくなりました。
風がバサバサ音を立てて吹き付けています。
芋を入れた籠が傾き、ゴロゴロとこぼれ落ちる。それから藤七の大きな身体もゆっくり崩れ落ちていきました。

村の付き合いもなくなり、友人もおらず、この数年はすっかり孤独な藤七でした。唯一従ってきた老犬が近づいて、無精髭だらけの顔を舐めますが動きません。動けません。虚ろの開いた瞳には、青い空を流れる雲が映るばかり。

そこにジャリッ。近づく男がいます。
「あ、お前は、お前は、彦次郎」
朦朧とした意識でも、決して見間違うことのない顔が、そこにありました。

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