たべるの

仙台曲がりねぎ その1

2015年2月6日
高橋 忠和高橋 忠和

山の奥の小さな村に「藤七」という大男のお百姓がおりました。身体が大きくて皆に恐れられていますが、実は性格穏やかで優しい人だったのです。この藤七には「とみ」という名の女房がいて、藤七は田圃で米を、とみは畑で野菜を作っておりました。田圃は小さく、畑はさらに小さく、暮らしは楽ではありませんでしたが、二人には可愛い娘がありました。「さち」と言います。

藤七ととみはさちを大切に育てました。一年また一年。飢饉で僅かばかりの稲が全滅した年も、とみの作るネギが一家を支えました。白くて太くて、食べると甘いネギは、とみの他は誰にも作れなかった。
おかげでこんな山奥の貧しい村でも、藤七の家は飢えることはなく、さちはスクスク成長できたのでした。

しかし、運命は過酷です。とみが病に倒れ、あっけないほど突然にこの世を去ってしまった。
10歳をようやく超えたさちが亡き母に代わって畑に出ますが、うまくいきません。あのネギは作れない。暮らし向きはどんどん悪くなって、優しかった藤七もしだいにふさぎ込むようになります。
さちが甲斐甲斐しく働きますが、傾き始めた家は元には戻らない。

さちは15歳になっていました。苦しいながらもよくここまで生き延びてこれたものです。しかも、驚くことに、とても美人に成長していました。その美しさは評判になり、村の若い衆だけではなく、遥か里の方からも美しい娘を一目見ようと男達がやって来ました。さちが川まで水を汲みにいく時も、畑の世話をする時も、男達が追いかけてきます。

「もうこうなった以上はお父っつぁんに話して欲しい」「わたしを彦次郎さんのお嫁さんにして」
さちは乱れた着物をつくろいながら彦次郎に訴えます。
「さち。おいらだって気持ちは同じ。だけどおいらは貧乏百姓の次男坊。田圃も畑もありゃしない」
「そんなおいらに、おまえの親父さんが許してくれるわけがない」
彦次郎もまた若い。水車小屋の暗がりに差し込む一筋の光の中でひしと抱き合う二人でした。

「どうりゃーっ」「こうりゃーっ」
ドドドドと大地を揺らして、転がるように山を走り降りてくる。これはイノシシか。藤七です。
「娘を知らんか」「誰かさちを見たものはおらんか」
「さっき川の方へ歩いて行ったで」「若い男と一緒だった」
「うわー」

「いけない。お父っつぁんだ」
「ええっ。藤七のおやじさんかよ」
「逃げて。彦次郎さん、今は逃げて。殺される!」

さちを追いかける男が現れるたびに飛び出してきて大暴れ。男達を蹴散らしてきた藤七です。
普通の父親が娘に抱く感情に加えて、この何年かの生活の苦しさが、ある種異様な偏執となっています。男が娘に近づくだけでも怒り狂うのに、こんな二人を見たらどうなるか。

ドッカーン。
水車小屋の扉を蹴り倒して飛び込んできた藤七の手には草刈りの大鎌。髪振り乱して目は血走っている。
「お父っつぁん」
娘の横を突っ切って小屋の奥に向かう。当たりに積まれた桶をひっくり返し、ワラ束を放り返し
「どこに隠れた。出てきやがれ!」
見上げれば天窓から外へ飛び出していく人影。
藤七も小屋の外に飛び出しましたが、人影はすでに川を渡って山の方へ駈けていく。一度振り返ったその顔は、「あっ、村の外れの貧乏百姓の小倅か」

以下つづく

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