たべるの

仙台曲がりねぎ その3

2015年2月20日
高橋 忠和高橋 忠和

「彦次郎か」
「はい、藤七の父つぁん。しっかりしてください」
彦次郎は長い旅から戻ってまっすぐこの家にやって来て、倒れている藤七を見つけたのでした。
合羽を畳んで枕にし、藤七の頭を載せてやり、竹筒の水を与えます。
「さちは。おさちちゃんはどこなんですか」
「まさか、まだ馬小屋の鳥籠に閉じ込めたままなんて・・。ええっ」
立ち上がろうとする彦次郎を藤七の腕が掴みます。
「彦次郎。このままうちの娘に会わせるわけにはいかないぞ」
腕は震え、声は嗄れて消え入りそうですが、必死の目つき。

「藤七さん。こんなに痩せて、きっと何も食べていないのだね」
彦次郎は背負子の中から一本のねぎを取り出しました。
そのねぎは大きくて、緑の葉と白い部分の境目あたりで、ほぼ直角に曲がっている。
根元の部分は泥がついているものの、一皮むけば真っ白な立派なねぎです。
「おお・・・」
ねぎを渡すと藤七は齧りつきました。
「美味い。甘い。これは、死んだ女房、とみの作っていたねぎだ」
藤七のボロボロの身体がムクムクと、俄に生気を取り戻したように見えます。

「彦次郎。お前はうちの娘を誑かした悪党、女たらし。憎い、悔しい。今度見つけたらきっと懲らしめずにおくものか。そう思ってきたはずが、二年、三年経つうちに、お前が現れるのを今か今かと待っている、仕置きをしようとか、そんなことはもう無くなって、ただただお前を待っている。そういう老いぼれに俺はなっていた」
ガサガサで皺だらけの藤七の目尻から涙が流れます。

「も、申し訳ありません。私とて、おさちちゃんのことを、いえ、こちらの家のことを忘れたことはありませんでした」
彦次郎の目も赤い。
「あれから五年、仙台に行っておりました」
「仙台?」
「はい、こちらの亡くなったおっ母さん、とみさんの故郷の仙台で、厄介になっておりました」
「どうして仙台なんだ」
「ここを飛び出してから関東信州東北と、流れ流れているうちに、つい漏らした自分の身の上を、たまたま拾い上げてくれた人がいて、そこが仙台、とみさんのご親戚の家でした」
「ええっ」
「なんの技能のあるわけでもない青二才を、はじめは下働きから、だんだん畑仕事のあれこれを、ここはこうしろ、それはそうしろ、仕込んでいただきました」「五年お世話になりまして、ようやく一人前に成りました」
「それじゃあ、このねぎは」
「はい、仙台名物曲がりねぎ」「亡くなったおとみさんがここで作っていたのも、仙台曲がりねぎだったのです」
「なんと」

仙台の、おとみの実家あたりは水脈が地面に近く、湿気を嫌うネギの栽培には向かない土地でした。そこを逆手にとって工夫を重ねのが、仙台曲がりねぎ。
春先に植えたねぎの苗を、夏の盛りに一度引き抜き、あらためて、もう一度地面に横に寝かせて植え直す。湿気に障らぬように横に寝かせて土をかぶせます。
秋の終わりになると土から外に出たねぎの緑の葉は太陽に向かってググッと上を向き曲がります。
土の中はボッテリと太くて白くて甘いねぎ。土から掘り出せば、そうです、これが仙台曲がりねぎ。

「藤七さん。お叱りも受けます、お詫びなら何でもします。さちに会わせて下さい」
「彦次郎。五年前の軽はずみは許せない。しかし、そのまま逃げ出したお前はもっと許せない」
「本当にすみませんでした。この上は逃げも隠れもしません。さちの、この家の、これからの暮らしをきちんと支える覚悟です」「米を作ります。仙台曲がりねぎを作って売ることもできます」
「その言葉、嘘ではないだろうな」
「どうぞ、さちに会わせて下さい」
藤七は掴む手の力を抜きました。
彦次郎はダッと馬小屋の方へ駆け出して行きます。

「さち!」
「あっ、あっ、あなたは・・・彦次郎さん」
「さ・・・ち・・・」
陽の射さぬ馬小屋の闇に目が慣れてくる。浮かび上がる白く艶かしい身体。
そこには五年前の可憐なさちはいなかった。
飢えて痩せ衰えた藤七が、娘にだけはと運び続けた食べもののおかげで、むしろ豊満。むっちりとした太腿、豊かな胸、長い黒髪、唇赤く、目は妖しく、妖艶な女がそこにいる。

「さちなのか?」
「ああ、彦次郎さん。待っていました。ようやく戻って来てくれたんだね」
「お父つぁんは最近歳をとっちまってろくな食べものを持って来てくれないんだよ。野菜ばかりじゃなくて鶏も食べたい、兎も好き、猪の肉もいただきたいわ」

「彦次郎。先ほどの言葉、嘘ではないだろうな」
馬小屋の戸口を藤七がゴロゴロ閉じます。
かつての牢屋の格子、竹で作った鳥籠は有って無きがごとし。
白くてボッテリとしたさちが彦次郎に迫ってきます。
「彦次郎さん。たまにはお酒も欲しいのよ」

一度抜かれてまた寝かされた。白くて太い。これが仙台曲がりねぎ。

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