たべるの

畑の暦

2012年8月22日
高橋 忠和高橋 忠和

台風にやられた作物に、あなたがそっとため息をついたこと。
タケノコ掘りででスッテンコロリン尻餅をついて大騒ぎだったこと。
アブに刺されて栗の木の下で泣いたこと。
素晴らしく美味しいお昼ご飯を、あなたが作ってくれたこと。

みんなたちどころに蘇ってくるのです。
自然の中で、風景の中で、季節の中で、
すべてが、美しい絵として強く記憶に残っています。

遥か遥かの大昔、人は、日々の暮らしをこのように心に刻んでいたのでしょうか。

日が登り、陽が沈み、また新しい日が昇って1日。
月が出て、満ちて、欠けて、消えて、また現れて1月。
花が咲き、葉が茂り、実を結んで、枯れて1年。

おそらく暦というものが登場してからは、人の記憶は次第に手触りのある自然から遠ざかっていったのかもしれません。
そうして長い長い時が経ちました。わたし達は、自らが作った暦の上に時間を重ねてきました。
毎日のことも数字や記号の中に収めて安心満足するようになってしまい、風景の意味すら変わってしまった。

でもね、こうして畑へ来て自然の中に身を置けば、遥か昔の人の心模様も蘇るようです。

来年4月30日に、あなたが帰ってくると思うのと
あの山にふたたび桜が咲いて、その花が散り始める頃、あなたは帰ってくると思うのと、
あなたを想う気持ちに変わりはないが、
時を、自然の中で、季節の中で、
心に刻むことのなんと奥行きの深いことか。

コメント