たべるの

田んぼの思い出

2010年6月23日
沢樹舞沢樹舞

先日、田植えをしました。
わたしにとって人生初の田植えです。

わたしが育ったのは富山県の魚津市というところで、家の周りは延々と続く田んぼ、つまり田んぼのど真ん中でした。
5月になって、田んぼに水が入れられると、家の周囲は、一面、大きな湖になります。
誰にも内緒にしてきましたが、そんな田んぼを見ると、入りたくて入りたくていてもたってもいられなくなる習性がわたしにはありました。
子供の頃こっそり田んぼに足を踏み入れて、そのまま足が抜けなくなって遭難したこともありました。それも、一度や二度ではありません。
幸い、近くを通りかかった大人に救出されましたが、全身泥だらけで母にこっぴどく叱られたことは言うまでもありません。

さて、今回の田んぼ作りから田植えまでの作業は、体の奥底にしまい込んでいた記憶が、鮮やかに甦るような体験でした。
泥に足を踏み入れたときの、掴み所のない、柔らかな感覚。
それでいて、おおらかに包み込まれる、例えようのない安堵感。
わたしはこの感触が大好きで、危険を冒してまでも、田んぼに入ってしまったんだな。
富山弁で、泥や雪に足が取られてしまうことを「がぼる」と言いますが、がぼっちゃっていいじゃない、泥にまみれても良いじゃない、田んぼの泥はそうわたしに甘く囁きます。

この歳になって、再び田んぼにはいることになろうとは、夢にも思わなかった。
故郷を離れ、東京に出て来て、すっかり泥のニオイも忘れた顔して生きていたけれど、再び田んぼに入ってみると、わたしは10歳の「がぼった」子供だ。
とはいえ、お百姓さんの目を盗んでさんざ田んぼに入っていたわたしは、さながら害虫のようなモノで、今回の田植えでようやくまともに田んぼと向かい合うことができたわけです。

今回の田んぼ作り、米作りは、こんなわたしの個人的な記憶や思い入れとは全く関係なく始まりました。
でも、わたしはとっても嬉しかった。
そして秋まで、田んぼと付き合っていけるのが、本当に嬉しい。
自分の中で、何かを取り戻せるような、甦るような、そして新しい何かが生まれるような。
ちなみにわたしは、稲刈りが終わった後の田んぼに寝転がるのも大好きです。
畑やって、田んぼやって、つくづく良かったと思います。

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