たべるの

30数年ぶりの田植えです。

2010年6月22日
高橋 忠和高橋 忠和

6月13日は、この葉山栗坪あたりでは、30数年ぶりの田植えでした。
5月の連休ぐらいまでは「田圃をやろう」なんて、全くその気配もなかったのに、みんなで力を合わせて草を刈り、土を起こし、埋もれていた田圃を復元する。一気にここまでやってきました。
田圃に水を入れる頃には沢ガニが顔を出し、カエルが歌いだした。アメンボがスイスイと滑るとツバメが飛んできた。人が力を尽くせば、自然はちゃんと応えてくれる。
まるで去年も、その前も、ずっとずっとそうしていたというように、ごくごくあたりまえのこととして、みんなが顔を揃える。
なにか特別のことをやるわけじゃない。30年ちょっとお休みしていたことを、ようやく再開するということなのです。

田植えの朝、あぜ道に踏み込むと紫色のたくさんの蝶がパッと舞い上がる。ムラサキシジミという蝶たちです。
田圃に手を入れると水が暖かい。30℃くらいでしょうか。苗が育つ暖かさですね。
4m X 6m の田圃の全面を、深さ3〜5cmの、この暖かい水が覆っていて、その下は柔らかな泥です。例えるなら「羊羹のような」滑らかさ。ただ残念ながら急遽復旧した田圃なので、泥の中に所々葦やススキの地下茎の残骸が残っていて、今年はまだ裸足では入れない田圃です。

気がつけばたくさんのカエルたちがゲコゲコと、田植えを祝って合唱しています。タケノコのときにもお世話になった石井さんの親戚のおうちから苗が届きました。「ウルチにするかモチ米にするか」結局モチ米の苗にしました。

さあ、はじめましょう。古来から田植えをする女性を早乙女と呼ぶそうですが、わたし達の早乙女が4人一列に並んで、ロープにつけた印を頼りに苗を植え付けていきます。
条間(じょうかん)30cm、株間(かぶま)20cmという間隔で、一株に3〜4本の苗を植えていきます。
4m X 6m の田圃ですから19 X 19 =約360株。
かつて田植えが機械化された当初、昭和40年ごろかな、条間30cmm、株間16cmという密植が主流の時代もありましたが、最近は逆に疎植栽培と言って、条間30cmm、株間も30cmにするという流れになっているようです。
わたし達の田圃は、まあ、ほどほどといったところでしょうか。なにせ30数年ぶりの田植えですから。

4人が並んで一列に19株植え終わったら、ゆっくり泥の中を30cm後ずさりして、また一列19株。これを繰り返していきます。ヌプ、ヌプ、ヌプと植えて、ドボッ、ドボッと後退する。足は膝あたり、手は肘のあたりまで泥にまみれ、ホッペタにも泥がついたり、お尻が泥に汚れたりするけど、みんな笑顔。「交替交替!」早乙女交替。
小さい田圃をみんなで交替しながらの田植えです。暑からず寒からず、光り柔らかく、風も柔らか。

「苗半作」という言葉があるそうです。良い苗ができたら米の栽培は半分出来たも同然。田植えは、後の半分「どうぞこれからは、天候に恵まれますように」稲の成長を自然に託す行事でもあるのです。

はるかはるかの紀元前、弥生時代と呼ばれる大昔から、人は力を尽くし、尽くした上で自然に委ねる。
田植えはこのようにして1千回、2千回。続けられてきたのでしょうね。

この田植えの翌日から葉山のあたりは梅雨入りしました。


6月20日、田植えから一週間後の田圃です。苗は元気に成長しているようです。
田圃に広がる雨の波紋も美しい。
田中さんの話によると、カルガモが2羽、この田圃を偵察に来ていたとのこと。
逢えるかな。

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