たべるの

畑との約束

2016年3月1日
高橋 忠和高橋 忠和

横浜の畑は、おそらく今シーズン最後の寒気も過ぎ去って、いよいよ本格的な春の始まりです。
春カブ、春ダイコン、ホウレン草、ルッコラ、春菊、小松菜など春野菜の種蒔きをしました。

たべるのFacebookの方にも書いていますが、種を蒔いたあと、種に土を被せ(履土)掌でそっと押す。種と畑の土の間に隙間ができないようグッと押さえる。そうすると柔らかな畑の土には手の形がつきます。
「きっと芽を出してね」そう呟くと、畑の土が「あなたも元気を出してね」と応えてくれたような気がする。
種蒔きを終えて起ち上がって見ると、畝の端から端まで、ほぼ手の形のスタンプで覆われています。人間と土の約束の手形です。そんなことを書きました。

Facebookに書いたことは、まさにその通りで、畑生活7年になる私の実感であります。
しかし、そんな心境になるまで、決して平坦な道のりではなかった。
まず、みなさん。「畑って良いですね。一度やってみたいな」そうおっしゃる方は多いのです。
しかし、私のようにすでにかなり時間が自由になった人間ならいざ知らず、いろいろ忙しい暮らしの中で、基本的には毎週毎週畑に通うことは簡単ではありません。畑を始めた頃の私がそうでしたから。

それでも畑に通っているうちに、少しずつ畑のことが分かってくると、どんどんのめり込んでいきます。
畝を起こし、種を蒔き、土を被せて手で押す。ひと畝すんだらまた次の畝です。
そんなときにフッと目が止まった言葉があります。

「玩物喪志」モノに溺れて本来の志を忘れてしまう。
「肝心なことは志があるか否か。どうなんだ」
どうしよう。どうしたことか。
芯がブレると言うか、自信がない。畑を愛してしまうとすぐにその逆の方向へ頭が向かうのでした。

畑を始めて2〜3年目ぐらいは、つとめて冷静に、畑に溺れないようにしていました。とは言うものの、畑のことは大好きなのです。仕事で疲れていても畑作業をやると身体が楽になる。
そうして5年目、6年目。
自分がしだいに歳をとってきたからなのか、生来の自分がいいかげんなのか、
「玩物」結構「志ってなんだっけ」みたいになってきました。

「則天去私」と言う言葉があります。こちらは晩年の夏目漱石先生も愛した言葉。
不自然は自然には勝てないのである。技巧は天に負けるのである。策略として最も効力あるものが到底実行できないものだとすると、つまり策略は役に立たないといふ事になる。自然に任せて置くがいいといふ方針が最上だといふ事に帰着する。
「天に則して私を去る」のです。

自然と一体となった生き方をしたい。そんな思いが最近強くなっています。

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