耕す。種をまく。妄想しながらね。
畑に出かけて。言うまでもないが、無条件にうれしいのは「収穫」である。採れたての野菜の美味しさは格別。どうやって食そうか、いつもワクワク考えながら帰路につく。普段の自分へ、お土産をもって帰る感じ。
今回は、稲狩りも体験した。頭を垂れた稲は、まさに実りの象徴。流れる時の試練をくぐりぬけ、その時に育まれた稲穂を、田んぼから潔く我が手の中へ刈り取っていく。収穫のすばらしさを、ひときわ感じさせてもらった。どんな味がするのか楽しみぃ~。
ただ、収穫だけではダメなようだ。先日、プチベールの苗を畑に定植したとき、それを確信した。ター菜をつくろう、と畑に立ったとき、そして鍬をもって土にむかったとき「やっぱり」と感じた。夏のあいだ、その機会があまりなかったからだろうか。耕したり、定植したりが、ものすごく楽しかったのだ。わたしは、やっぱり耕すのが好きだ。種をまくのが好きだ。そして収穫が好きなのだ。
まだ食べ物として影形がないものに対して、ちゃんと育つように祈りながら。いや、祈りというより「妄想しながら」畑にふれる。妄想だから、それはもう自由勝手、立派に育つし、にっくき害虫にたちむかったりして、楽しいに決まっているではないか。新しい収穫にむけての、始まりのワクワク。そんなときは、心に「ゆとり」なお土産をもって家路につく。
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